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「んっ、んふ、んふ……」  鼻から吐息を漏らしながら、私は走る。 「んふ、んっ、んッ……」  口呼吸がほとんどできない状況で、息苦しさに耐えながら。 「んッ、ふッ、んふッ……」  つま先立ちを強制する超ハイヒール――バレエヒールという名があることは、のちに知った――を履かされた足を、必死に運ぶ。  指の自由を奪い、両手を獣の前足に変えるミトンどうしをつながれて腕を拘束されていないのが、せめてもの救い。 「んふッ、んッ、ンんッ……」  流動食と水を流し込むための、口中の異物を貫通するチューブにつながるノズルから涎を吹き出しながら、私は走る。 「ンんっ、んむ、んぅん……」  苦しい吐息に甘みが混じるのは、着せられた特殊素材のオープンバストレオタードの股間部分。取りつけられた金属製プレートの奥で、膣にディルドが挿入固定されているから。  いや、股間プレートに設えられているのは、ディルドだけではない。  ディルドのすぐ上には尿道用の排泄管理器具が、数センチ後方には肛門用排泄管理器具が、大小の穴をこじ開けて装着固定されている。  それら3穴を占拠する装具が、足を運ぶたび粘膜を刺激し、肉の昂ぶりをもたらす。  身体が上下動するたび、乳首にピアスを嵌められた胸が揺れる。  異物に昂ぶらされるのは、どうしようもなくくるおしい。乳首ピアスの胸を揺らすのは、たまらなく恥ずかしい。  おまけに、オープンバストレオタードの露出させられた左乳房のすぐ上には、『山本華子』と私の本名がプリントされている。  首輪にぶら下げられたプレートには、本名とともに高度懲罰研究所に所属する、第2期3人めの被験者であることを示す記号が刻印されている。  ここから脱走するということは、恥ずかしい姿と素性を衆目に曝さなければならないということ。  だが、そんなことは気にしていられない。  なんらかの事故で研究所全体の電源が落ち、電気式のロックが解除された今を除けば、脱出の機会は2度と訪れないだろう。  私が連れてこられた高度懲罰研究所は、恥を忍んで脱走しなければならないほどの地獄なのだ。  とはいえ、連れてこられたというのは、正確ではない。  高額の報酬に目がくらみ、高度懲罰研究所の被験者に応募したのは、あくまで私の意思。面接の際に大まかな内容も説明されたし、契約を強要されたりもしなかった。  たしかに詳細は知らされなかったし、漢字だらけの小さい文字がびっしりと書かれた契約書は、見る者に精読させる気を失なわせるようなものだった。  しかし、確認を怠ったうえ、契約書をきちんと読まなかったのは私のミス。公的機関に所属する研究所が、非人道的な人体実験を行なうわけがないと思い込んだことも、私自身の責任。  監禁され、厳しい懲罰を加えられてから後悔しても、あとの祭りだった。私は5人いる2期被験者のうちの3番めとして3年間、長期懲罰実験を受けざるをえない立場に陥っていた。 (このままじゃ……)  私はおかしくなってしまう。 (そうじゃなくても……)  3年間にわたって口枷を嵌められ続け、股間プレートの異物に3穴をこじ開けられ占拠され続ければ、身体が壊れてしまうかもしれない。  いずれせよ、もうまともな暮らしには戻れない。  そう思い始めたのは、入所してすぐの頃。  日々その思いは強くなり、監禁されてひと月がすぎた頃――もっとも、あらゆる情報を遮断されていた私は、すでに正確な日付けがわからなくなっていたが――には、常に脱走の機会をうかがうようになっていた。  そして、バレエヒールのブーツに馴らされ、なんとか歩行できるようになった頃、ついにその機会が訪れた。  だから、私は走る。 「んッ、ンふ、ンふッ……」  バレエヒールのせいで、一般人の早歩きに負けそうな速度でも。 「ンふッ、んッ、むッ……」  苦しくても、くるおしくても、恥ずかしくても、私は外界へ通じているはずの、薄暗い通路を走る。  そして、たどり着いた突き当たりの扉。  停電でロックが解除され、半開きになっていたそれを体当たりする勢いで開けた私が見たのは、武装警備員を引き連れて立つ、担当女性看守の姿だった。 「こんなところで、なにをしているのかしら?」  瞳を妖しく輝かせ、女看守が訊ねる。 「まさか、契約に違反し、脱走を企てたわけじゃないわよね?」  その言葉に首を横に振った私は、なにを否定しようとしていたのか。  だが、私の意図など、無慈悲な女看守には関係のないことだった。 「なにを考えていたかにかかわらず、おまえの行為が契約違反なのは間違いのないこと」  そう言って唇の端を吊り上げると、女看守があらためて宣告した。 「契約違反の脱走を企てた不良被験者には、担当看守の権限で、通常認められる範囲を超えた懲罰を与えることができる……この規則にのっとり、高度懲罰被験者2の3、山本華子を無期限の完全拘束封印刑に処す」  女看守に導かれ、武装警備員に両腕をつかまれて、今きた通路を歩く。  電源が復活し、通路には灯りが灯っているのは、偶然そのタイミングで復旧したのか。それとも――。  ただ震えあがるだけだったそのときの私に深く考える余裕はなく、連行されてたどりついた場所は、初めて入る部屋だった。  電気錠を女看守解除し、2期被験者用完全拘束封印室と書かれたプレートが掲げられたドアが開けられる。  するとその部屋には、幅60センチ、長さ2メートルほどの金属製の枠が5つ設えられていた。 (いえ、これは……)  ただの枠ではない。住宅の床下収納の蓋のような構造になっているのだ。  そうと推測したところで、5つある蓋のうち真ん中のものを、警備員がふたりがかりで外した。  さらに女看守が取り出した端末を操作すると、舞台の迫《せり》のように、地下から別の床が上がってきた。  そしてその上には、マトリョーシカにも似た、人が入れそうなほど巨大なセーラー服の女の子の人形が。 「……!?」  そこで、巨大セーラー服マトリョーシカ人形の胸に、縫いつけ布名札を模したものが描かれていることに気づいた。  その文字は、首輪にぶら下げられたプレートの刻印と同じ。  『高』をアレンジした高度懲罰研究所の紋章と、懲罰被験者であることを示す『罰』。2期3人めを表わす『2-3』に、一段下がって私の名前『山本華子』。 (こ、これは……)  母校の中学に通っていた頃、制服の胸に縫いつけていた布名札と同じ様式だ。 (いえ、それだけじゃない……)  紺色の襟とカフス、そこに入る3本の白ライン。マトリョーシカのセーラー服は、母校の夏制服と同じデザインだ。  そうと気づいて息を呑む私をよそに、警備員が巨大セーラー服マトリョーシカ人形の縁に設えられていたボルトを外す。  そしてすべてのボルトを外し終え、人形の上半分を持ち上げると、中には無数の革ベルトが設えられていた。 (ま、まさか……)  この中に人の身体を横たえ、ベルトで縛りつけるのか。そして先ほどと逆の手順で、縛りつけた人を人形に閉じ込めるのか。 (そ、そして……)  閉じ込められる人が私だということは、火を見るよりあきらかだ。  そうと気づいた刹那、身体がガタガタと震え始めた。 「ンん(いや)……」  言葉にならない声で拒絶し、反射的に後ずさろうとした。  しかし、叶わない。  バレエヒールのブーツを履かされた足では、両腕をつかむ武装警備員に抗うことはできなかった。  ミトンを嵌められた手では、屈強な彼女たちを振りほどけるわけがなかった。 「ンん(いや)……ンん(いや)……」  ただ、プルプルと震えることしかできない私に、女看守が向き直る。 「自らあの中に身を横たえるか、警備員の力で無理やり押さえ込まれるか、注射を打たれて抵抗できない状態で詰め込まれるか、好きなのを選びなさい」  いじわるく嗤ったまま、私に選択を迫る。 「ただし、どの方法を選ぶかによって刑期の長さが変わるから、慎重に決めなさい」  それはおそらく、自らの意思で身を横たえなければ、刑期が長引くということなのだろう。  実質的には選択肢がない状況で自ら拘束されることを選ばされた私のプレートつき首輪が外されたあと、警備員の手を借り震えながらマトリョーシカ人形の中に身を横たえた。  そこで、カチリと金属音とともに、肛門用排泄管理器具にかすかな振動。  排泄管理に馴らされていた私は、器具が人形底面に設えられていたノズルに接続されたのだと知る。  そのことの異常性に思い至れないほど、すでに精神を作り変えられていることには気づけない私の肉体を、女看守がベルトで縛りつけられていく。  額、首、胸は乳房の上下で二の腕ごと、お腹も腕ごと、太もものつけ根付近でミトンに設えられていたベルト通しに通されて、さらに太ももの膝に近い位置、すね、足首、バレエヒールブーツの甲のあたり。  合計10箇所をベルトで縫いつけられ、ピクリとも動けなくなった私のブーツの上に、黒い物体が載せられた。  カチリ、とかすかに音がしたのは、肛門用排泄管理器具につながれていたホースが、物体に接続されたのだろう。つまり、物体は排泄を管理するための装置に違いない。  その推察どおり、尿道用排泄管理器具のノズルに長いチューブがつながれ、その反対側が装置に接続される。  おそらく、食餌管理のためだろう。続いて口枷のノズルに、短いチューブが接続される。  そこまでの作業を終えた女看守が目配せすると、警備員がマトリョーシカ人形の上半分を再び持ち上げた。  もう知っている、わかっている。  それは、マトリョーシカ人形の上半分などではない。  初見の印象でそう感じただけで、実際は私専用完全拘束具の蓋なのだ。  そう、これは私専用の完全拘束具。はじめから私のためだけに、私を閉じ込め封印することだけを目的に、あらかじめ用意されていた。  だからこそ、拘束具のサイズは、私がギリギリ中に入れる大きさだった。そこに身を横たえるだけで、肛門用排泄管理器具が接続された。  そもそも、表面に母校の制服の塗装が施され、布名札を模して私の所属と名前が書かれていた時点で、そうと気づくべきだった。  もっとも、気づいたところで、私にはどうすることもできなかったのだが。  おそらく、私の両隣の収納庫には、2番と4番の完全拘束具がしまわれている。その向こうには、1番と5番のものもある。もしかしたら、彼女たちのうち何人かは、すでに閉じ込められているのかもしれない。 『契約に違反し脱走を企てた不良被験者には、担当看守の権限で、通常認められる範囲を超えた懲罰を与えることができる……この規則にのっとり、高度懲罰被験者2の3、山本華子を無期限の完全拘束封印刑に処す』  脱走の希望が潰えたときの、女看守の言葉。  完全拘束封印刑は、きっと通常認められた懲罰ではないのだ。  しかし研究所としては、ぜひやりたい懲罰実験なのだ。  だからこそ、脱走の契約違反に対する罰は例外とする、特例の規則を利用する必要があった。 (つまり、私は……)  罠に嵌められた。  そうと思い知らされた私の上に、完全拘束具の蓋が迫る。  下半分と同じ濃いエンジ色の内装材が、視界の半分以上を占拠する。  顔にあたる位置には、3つの小さな穴。おそらく、下のひとつは、口枷のチューブを差し込むための食餌管理用。上のふたつは、鼻呼吸用の呼吸孔。  ただし、その穴から光は漏れてこない。食餌管理用の穴にはチューブ接続用の金具が設えられているし、呼吸孔にはフィルターが取りつけられているのだろう。  私の顔に10センチまで近づいたところで、完全拘束具の蓋がいったん止まる。  女看守が手を差し込んで、チューブの先端を蓋の金具に接続する。  そこから、再び蓋が迫ってきた。  もう、視界は蓋の内装材に占められた。 「ンん(いや)……」  思わずあげた拒絶の声は、意図して出したものではない。  そして、言葉にならない拒絶が受け入れられるわけがない。 「ンむん(やめて)……」  それは、懇願しても同じこと。  私の肉体を厳重に縛《いまし》める10本の革ベルトは、逃げることはおろか、身じろぎすら許さない。  ゴト……。  重い音とともに蓋が閉じられ、視界が完全に闇に閉ざされた。  ガチャガチャと固定用ボルトを締める音。  いや、音というより、振動と呼ぶのが正確か。ぶ厚い鋼鉄と緩衝のための内装材に阻まれ、外部の音はほとんど聞こえない。  なにも見えず、なにも聞こえず、身じろぎすらできない。完全拘束の地獄に、私は閉じ込められた。  そうと思い知らされ、戦慄を覚えたところで、不意に視界が開けた。  だが見えているのは、私の視点では見られないはずの映像だった。  マトリョーシカ人形のような見た目の完全拘束具の側で、工具を手にボルトを締めている警備員を、天井に近い位置から俯瞰している――。 「目にあたる位置に仕込んだ超小型近接焦点モニターで、監視カメラの映像を見せているの」  そこで、耳のすぐ近くに、女看守の声が聞こえた。  モニターが超小型であったのと、私が極度の緊張と恐怖に囚われていたせいで、存在に気づいていなかったのだ。  今、女看守の声を耳に届けているスピーカーが、耳のすぐ横に仕込まれていたことも。  そのモニターの視界のなかで、ボルトの締め込みを終えた警備員が立ち上がる。  女看守の操作により、私を閉じ込めたマトリョーシカ型完全拘束具が、床ごと沈み込んでいく。  そして最後に床の蓋が元に戻されて、私は完全拘束のうえ床下に封印された。 「うふふ……怖ろしい? 不安で仕方ない?」  あたりまえだ。怖ろしくないわけがない。不安に囚われないわけがない。 「かわいそうだから、しばらくはモニターは切らないでおいてあげる。業務の合間に、私の声も聞かせてあげる。もちろん、水分と食餌を補給してあげるし、排泄物タンクがいっぱいになれば、眠らせたうえで完全拘束具の蓋を外し、交換してあげる」  そしてそう言うと一拍置き、これまで聞いたことがないほど愉しそうな声で告げた。 「だから、安心して刑に服しなさい。いつ解放されるかもわからない、無期限の完全拘束封印刑に」 (了)

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