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「ねぇ、光瑠ちゃんってパパ活してるでしょ?」  放課後の喫茶店で高城璃音に告げられた言葉は私を動揺させるのに十分だった。  過去の記憶が走馬灯のように浮かんでは消える。  どこから情報が漏れたのか。自分の記憶を頼りに色々考えるけれど、たぶん意味はない。  私、三枝光瑠がサポート交際を行っていた事実は変わらないのだから。 「ちゃんと写真もあるよ」  それは高城璃音が見せてきたスマホの画面にもくっきりと刻まれている。 「な、なんで……あんたがこんなの持ってんのよ」  彼女のスマホにある写真は、五日前の日曜日に40代半ばの男性とランチを食べたときのものだ。  琥珀色のストレートヘアーを肩まで下ろし、メイクやファッションを何倍も綺麗に見繕って本来の自分らしさを押し出すように煌びやかな衣装まで着飾ってる女の子は間違いなく私と同じ顔をしてる。  学生姿の私を知っているクラスメートたちなら大人びた外見すぎて見向きもしないはずだけれど、高城璃音は違ったらしい。 「それはナイショ」 「……そう」  こういう身バレが起きないように学校に通うときはあえて地味なメイクとファッションを心掛け、私は普通の生徒を演じてきた。  メイクに気を遣いすぎると高嶺の花になりすぎて目立つし、逆に何もしなさすぎると名前もわからない雑草に成り下がりイジられキャラにされてしまう。  そうならないように最善の注意を払って、丹精込めて梳いた髪をあえてポニーテールに束ね、田舎にいる学生のような芋っぽさを前面に押し出しながら悩みのない明るい高校生として振舞ってきた。  クラスメートと親しめる中間的な立場を継続していくことはリスクもあったかもしれないけれど、高校卒業を控えた今の今まで誰にもサポート交際のことがバレたことはなかったし、周囲に迷惑を掛けた覚えもない。  なのに、よりにもよってクラスで一番の不良少女である高城璃音にバレてしまうなんて最悪にもほどがある。  彼女の口からクラス全体に私のサポート交際の噂が広まれば「パパ活女」って蔑まれるのは目に見えているし、それが教師に伝われば、私の学歴に傷がつくのは避けられない。  どうにかしてスマホの写真を消してもらわないとこのままでは社会的な立場が潰えてしまう。   「……何が目的?」  高城璃音といえば、麻薬の取引をしてるとか、風俗店で働いているとか、臓器を売り捌いてるとか、そういうヤバい噂でしか名前を聞いたことがない。  私もサポート交際をしているから、まともではない側の人間だけれど、あくまでも交際をして楽しんでもらった分のお金を受け取っているだけで、犯罪までは手を染めていない。  まぁ、ちょっとばかりエッチなことに興味があってそういうのに首を突っ込みそうになった場面はあったけど、本格的な行為には至らなかったからあれは、ノーカウントだ。 「大したことじゃないんだけれどね、あたしに付き合ってほしいの」  ふふ、と口角を吊り上げながら高城璃音はこれでもかというほど明るく染めたサラサラの金髪を指で梳いて、蒼いカラコンの入った瞳を輝かせる。  その様子は新しいおもちゃを手に入れた三歳児のようだった。 「悪いけど、危ないことは絶対やらないから」 「そんなに警戒しなくても大丈夫だよ? あたしと一緒にホテルに泊まってほしいだけだし、それに最後まで一緒にいてくれたら写真は削除する。まぁ、途中で帰ったり、断ったりしたら写真は学校に送り付けるけどねー」  高城璃音は横髪を指でくるくる巻きながら冗談めいたように笑うけれど、脅迫してくるような人間に警戒しないほうがおかしい。  そして、彼女の言葉からして、わかったことがある。私に拒否権はないらしい。  マジでどうしよう。  このままだとめんどくさいことになりそうだ。 「……ちょっと、考えさせて」 「うん、コーヒーもあるしゆっくり考えて」  何か逃げ道はないかと模索する私の前で高城璃音はブラックコーヒーの入ったカップを左手で持ち上げて桜色のリップを縁につける。  なにも喋らず、制服も着崩してなければ、金髪碧眼のその仕草はどこぞのお嬢様って感じで上品さを漂わせてる。 「うん、おいしい」  彼女に脅迫されるという形ではなく、友だちとして喫茶店に訪れていたのなら、もう少し違った雑談ができていたのかもしれない。  実のところ、私は高城璃音のことをよく知らないのだ。  教室で時々目が合うことはあったけれど、それ以上の関係になったことはない。  言葉を交わしたとしても挨拶程度だったし、高城璃音にまつわる情報は、すべて噂だけ。  だから、彼女が私をホテルに連れていってなにをさせるつもりなのかまったく検討がつかないし、なぜ私が目をつけられているのかさえわからなかった。  学校には私以外にも危ない橋を渡りかけてる奴らはたくさんいる。そういう奴らは学校で教師の目を掻い潜りながら表立って行動してるから、悪い噂でもちきりの高城璃音と実にお似合いな関係を築けるはずだ。  考えれば考えるほど、そっちを誘えばよかったのに、と謎の私怨が立ち込めてくるばっかりで、一向にこのピンチを乗り切るための作戦は浮かばない。  関われば、ろくでもないことないことになるぞ、と私の直感が告げてくるだけだった。 「そういえば光瑠ちゃんってさ、お金に困ってたりするの?」 「……別に困ってないけど」  高城璃音はカップを置くと興味ありげな眼差しを向けてくる。私はその眼差しから目を背けるように残り少ないカフェオレをストローで吸い取る。ここのカフェオレはミルク感が強くて結構好きな味をしてるから気持ちが落ち着く。 「そうなんだ? サポしてるからてっきり困ってるかと思ったんだけどなぁ」 「逆だよ。サポしてるから困ってないの」 「あぁ、なるほどねぇー」  ヤバい、口が滑った。  いつもなら、お金とサポのことについては適当にはぐらかして絶対話さないのに、考え事で意識を反らされてるせいなのか喋ってしまった。  挙句の果てに氷しか残ってないグラスのストローを咥えてズロロと虚しい音を立ててしまう。めちゃ恥ずかしい。 「ならさぁ、あたしも光瑠ちゃんにお金払ってあげるってのはどう?」  ……は?  お金払うって言った? 「ホテルに一緒に来てくれたら、サポ代としてお金あげる。最後まで一緒にいてくれたら写真も削除してあげる。コレなら条件いいでしょー?」  要するに、私をお金で買おうってわけか。 「あんた、マジで言ってる?」 「本気だよ。なんなら前金であげてもいいし」  高城璃音はスクールカバンから有名ブランドの長財布を取り出して、そこから諭吉を何枚か抜き出すとテーブルの上に差し出した。 「一緒に来てくれたら、コレの三倍追加で出してもいいよ?」  現時点でも諭吉が5枚並んでる。  その三倍を出すってことは合計で20枚ってことになる。  明らかにヤバい。  ここまで高いサポはしたことないし、逆に怪しすぎる。てか、どんだけお金持ってんだ? 「本当に危ないことはしないの?」 「しないよ? 一人じゃ心細いから、光瑠ちゃんにも一緒に来て欲しいだけ、それに」  何かを言おうとして私から視線を外すと高城璃音は周囲を物思いに確認する。周りに聞き耳立ててる人がいないかどうか探っているみたいだった。 「……それに?」  首を傾げる私へ口元を隠すように手を添えながら高城璃音がテーブルに身を乗り出し口を開いた。 「すっごく、気持ちいいと思う」 「……はぁ?」  確実に弄ばれた。  意味がわからなくて若干怒りが溢れてくる私とは違って、高城璃音は悪戯が成功した幼稚園児みたいに整った白い歯を見せてニヤニヤ笑ってる。まさかコイツ、レズとかバイとかそっち系のやつなんだろうか。 「まぁ、これから行くホテルだけにしかない特別なサービスなんだけど、あたし一人で受ける勇気がなくってさぁ、光瑠ちゃんに一緒に受けて欲しいんだよね」  一人で受けるのが怖い特別なサービスってなに?  ますます混乱してきた。 「てか、なんで私なの?」  ずっと気になっていたことも聞いてみる。  高城璃音が私を選んだ理由を知りたかった。 「それは、光瑠ちゃんならアタシの秘密を守ってくれそうだったから、かなぁ?」  先ほどまでの悪ガキっぽい表情から一転して、璃音は真顔で答えてくる。 「なにそれ、写真で脅しておいて何も説得力ないじゃん」 「だって、付き合ってもらっちゃったら写真は消さなきゃいけないし、口止めしておけないでしょ? つまり、終わったあとはアタシの秘密を握られちゃうってわけ。それなら、秘密主義の光瑠ちゃんが一番信用できると思ったんだよねー、変かなぁ?」  私が考えていた答えの数倍は筋が通ってて気持ち悪い。てっきり、都合のいいオモチャを見つけたから弄んでやろうとしてるのかと思ってた。  たしかに高城璃音がいうとおり、私は自分のことも他人のことも分け隔てなく秘密が外に漏洩しないよう心がけてる。なぜなら、秘密を破るのは碌でもないことって知っているからだ。  完璧に見える繋がりも、一つの小さなヒビが亀裂を生み、大きく崩れ去ってしまう場面を何度もこの目にしてきた。  秘密を守る誠実さは人間として必要不可欠な素質であることを理解してなければ高城璃音が放った言葉は出てこない。  彼女の言葉すべては納得できない……けど。 「一理あるかも」 「ほら、光瑠ちゃんのそういうところが信用に値するんだよ」  蒼い瞳をキラキラ輝かせて頬を緩ませる高城璃音が妙になれなれしく感じてしまう。  彼女から見れば、私は同じ穴の貉なのかもしれない。  もし、彼女が秘密についてリスクを負うつもりで声を掛けてきたというのなら、私もリスクを負うのは当然だと言える。 「だから頼むよー、光瑠ちゃんしかいないんだぁ」  最後の一押しと言わんばかりに高城璃音は両手を合わせてお願いしてくる。  もしも、この言葉が彼女の本心からのものであるとするならば、高城璃音が私の生活の障害にならないようにとるべき選択は一つしかない。  彼女の秘密の一端を聞いた私がこの申し出を断れば、彼女は確実に、私を社会的な立場から蹴落とそうとしてくるはずだからだ。 「あんたの秘密がどういうものか知らないけど、さっき提示してきた条件は忘れてないよね?」 「うん、一緒に来てくれたら写真は削除するし、そこにある前金もあげる。終わったら残りの分もちゃんとあげるよ」 「……なら、その話し乗ってあげる」   「ふふ、決まりだねー」  私と彼女の接点は写真だけしかないのだから、写真が消えれば、私と彼女の関係も消えてなくなる。一回きりの関係なら、今のうちに終わらせておいたほうがいいだろう。  たぶんそれが今の私が選べる最善の選択だ。   「じゃあ、さっそくだけど行こっか」 「え? 今から?」  高城璃音はテーブルの伝票を取り上げるとコーヒーの入ったカップを残して会計に向かおうとする。 「そうだよ、光瑠ちゃんならオッケーしてくれると思ってたから予約してあるんだ」  いくらなんでも計画的すぎるでしょ。 「問題でもある?」  フリーズしてる私に高城璃音が問いかけてきた。  問題は大ありな気がするが、これ以上話をややこしくしたところで私にメリットもない。ここはとりあえず大人しく従ったほうが賢明だろう。早く終わるならそれに越したこともないし、マジでヤバそうなら写真のことなんて放っておいて引き返せばいい。 「大丈夫、親に泊まることだけ伝えておく」 「オッケー、じゃ先に行ってるね」  スマホで「友だちの家に泊まる」と親にメッセージを送ってから、レジへ向かう。  そのころには会計が終わってた。   「いくらだった?」 「誘ったのはアタシだから払うよ」 「いや、自分の分は出すし」 「だめだめ、そこはきちっとしておかなくちゃね」  結局押し負けて高城璃音に奢られてしまった。  店員さんに「ごちそうさまでした」と挨拶してお店を出てから、高城璃音にも「ありがとう」と言っておく。  サポート交際をするような私でも、人に奢られたらお礼はする。 「いいよ。それよりもう来てたみたい」 「来たってなにが……?」 「お迎えだよ」  高城璃音の見ているほうへ視線を移すと白くて大きな縦長の車が停まってた。  どこからどう見ても高級車の風貌を携えているその車はリムジンっていう名前だった気がする。  扉の前には白と黒の不自然な光沢を放つメイド姿の女性が立っていた。  ショートボブに揃えた栗色の髪に端正な顔立ちをしたその人は、プロフェッショナルな大人の笑顔で一瞥してから、私と璃音にお辞儀した。 「お迎えにあがりました。璃音お嬢さま、光瑠お嬢さま」 「お、お嬢さま?」  メイドさんの言葉に開いた口が塞がらない。目を凝らすと彼女のメイド服はゴムでできているように見えるし、何がなんだかわからなくて混乱する。 「光瑠ちゃん面白い顔してるね」  そりゃ面白い顔にもなる。「お嬢さま」なんていう恥ずかしい言葉で他人に自分の名前を呼ばれたことなど生まれて一度も経験したことなんてなかったし、ゴムのメイド服も初めて見る。 「あんたってお金持ちなの?」 「いやぁ、アタシのメイドじゃなくてホテルのスタッフさんだよ。あと『あんた』じゃなくて親しみをこめて『璃音』って呼んでほしいなー」 「へぇ~……」  名前の呼び方についてはどうでもいいけれど、ゴムのメイド服を着た女の人がホテルのスタッフさんとは驚きだ。  お迎えにあがるほどのサービスとは、よほど高級なホテルであることは間違いなさそうだけれど、特別なサービスっていったいどんなサービスなのだろう。『すっごく、気持ちいいと思う』と璃音は言っていたが、謎は深まるばかりだ。 「どうぞ、お乗りください」  私と璃音の話しに一区切りがついたところでメイドさんはリムジンの扉を開けた。「いつもありがとうございますカエデさん」とちゃっかりメイドさんの名前を発しながら璃音はリムジンの中に乗り込んでいく。その様子を他人事のように眺めていると「光瑠ちゃんも早くおいでよ」と璃音に急かされて、カエデさんを一瞥してから軽くお辞儀し、私も乗り込むことにする。   「うわ、すご」  車内は純白と金色で統一された空間が広がっていて、ゴムのような甘い香りに満たされていた。  普通の車と同じで天井は低いけど、奥行きは広い。奥のほうにソファーみたいな横長のカーペットがあり、まさにリムジンという高級車ならではの雰囲気を漂わせている。  ただし、車内は光沢を放つ白いゴムで覆われていることだけは違和感の塊だった。   「光瑠ちゃん、こっちに座ろ」  どこに座るべきか迷っていると奥にいる璃音に促され、隣に座ることにする。 「……うっ」  手のひらが車のカーペットに触れるたびにギュチギュチとゴムの感触が伝わってきて背筋がゾワゾワした。  そこへカエデさんが乗り込んできて扉を閉める。 「この度はヒトイヌスイートプランをご利用いただき誠にありがとうございます。お嬢さま方は移動の前にアイマスクの着用をお願いします」  ホテルのサービス名のようなことをカエデさんは発してから、私と璃音にアイマスクを手渡してきた。  なんとかスイートって言ってたような気がするけど、ゴム塗れの空間に気を取られていて聞き取れなかった。アイマスクもエナメルっぽいゴム製でできてる。意味わかんない。 「どういうこと?」 「移動中は目隠しをする決まりなんだよ。特別なサービスだから、所在地は秘密になってるの」 「……いや、そういうことじゃなくってさ」 「大丈夫だよ、心配ないって」  ゴムだらけのことについて璃音に聞きたかったのだけれど、伝わらなかった。  どう考えても不安しかないけれど、璃音は笑いながらアイマスクをつけてしまう。  蒼い瞳が黒いゴムの膜に隠されて、テレビのロケを受けるタレントさんみたいな見た目になっていた。 「さぁ、光瑠お嬢さまもお願いします」 「……わかりました」  カエデさんに促されて私も渋々アイマスクを着用する。当たり前だけど何も見えなくなった。  アイマスクを使うとよく眠れると噂で聞いたりするけれど、たしかにこれほど視覚情報を遮るならありかもしれない。ゴムじゃなければの話だけれど。 「では、発車いたします」  走行中は特に会話というものもなく、リムジンは数十分ほどで目的地に停車した。  アイマスクを外したい衝動に駆られるけれど、まだアイマスクは外さないように、とカエデさんからレクチャーされたからどうすればいいか合図を待つ。  ガチャ、とリムジンの扉が開く音が聞こえると「光瑠お嬢さまは私が手引きいたしますね」とカエデさんのゴムに包まれた細長い指に手を取られ、ゆっくりと車を降りていく。 「そのまま、ついて来てください」 「あの、璃音は?」 「璃音お嬢さまは私がお連れいたします」 「え、もう一人いるの?」 「申し遅れました、私はツバキと申します。以後お見知りおきを」  視界が塞がっているから姿までは見えないけれど、どうやらカエデさんと同じホテルのスタッフさんらしい。規則正しい言葉遣いから想像するにカエデさんとおなじくゴムのメイド服を着ていそうだ。「アタシは心配ないよー」と璃音の声も後ろから聞こえてきて一人で連れていかれるわけじゃないことを理解してちょっと安心する。 「では、光瑠お嬢さま。参りましょう」 「はい」  カエデさんに促されて歩みを進めるが、真っ暗の視界のまま他人の手を頼りに歩くというのは中々に恐怖心をくすぐってくる。  一歩ずつ地面を確認しながら歩いていても、どこかで床を踏み外してしまいそうな予感が脳裏によぎっては消える。  おかげでカエデさんのゴムに包まれた手をぎゅっと強く握ってしまったりする場面が何度かあったけれど、そのたびにカエデさんが身体を支えてくれるから足を踏み外すことはなかった。 「アイマスクをはずしていいですよ」  カエデさんの手が離れたから、指示通りアイマスクを外す。 「うわ、なにここ!?」  そこは想像していたホテルの空間ではなかった。    右側にはダンスの練習場みたいに一面が鏡で覆われた壁があり、周囲は白と黒を基調としたモノクロタイルの壁が佇んでいる。  それらを挟みこむように天井は白一色で、床は黒一色に覆われていた。  やはりというべきか、鏡以外はゴムで作られているようだった。  白と黒が入り乱れる異世界に迷い込んでしまったような違和感に現実との区別が曖昧になる。  私が想像していたのは、きらきら光る豪華な装飾を施された照明や壁があって、名前もわからない絵画が飾られていたり、床は幾何学模様のペルシア絨毯などが敷かれている高級ホテルだったのだけれど、全然違った。  目の前に映るすべて、そのどれにも当てはまらなくてガッカリしてしまう。  私はとんでもないところへ来てしまったらしい。   「光瑠ちゃん、こっちに荷物預けるよ」  いつのまにか入ってきてた璃音に鏡とは反対側にある部屋の隅っこへ来るように手招きされる。そこだけ白黒の壁に鋼鉄製の扉が備え付けてあるように見えた。  私が歩み寄っていく間に璃音の隣にいるもう一人のメイドさんであるツバキさんがその扉を開けて、璃音から受け取ったスクールカバンを中へ収納してる。ツバキさんの外見はカエデさんを見習ったような装いをしていて、はたから見ると姉妹のように見えた。  ぼーっとしていると「お預かりしますね」とツバキさんに私のスクールカバンも収納されてしまう。どうやら、この鋼鉄製の扉は荷物を預けるためのロッカーのようなものらしい。  さらに横からカエデさんもやってきて、入り口にあった私と璃音の靴を収納スペースへ入れてしまう。おまけに璃音はなぜか制服のブレザーに手を掛けて衣服を脱ぎ始めてた。 「な、なんで脱いでんの?」  乳白色の柔らかそうな肌が開け放たれたブラウスから露出して水色の下着が見え隠れする。女の子同士とはいえ何も言わずに脱がれるのはさすがに困る。っていうか、何故脱ぐ必要があるのか説明してほしい。  やっぱそっち系なんだろうか。 「これから着替えるから、服も全部預けるんだよ。光瑠ちゃんも早く脱いじゃって」 「……まじ?」  スカートもブラウスも脱いでしまったら、残るのは恥部を隠すだけの布切れだけになるというのに、璃音は遠慮なしにすべて脱いでロッカーの中へ収納していく。羞恥心って奴は持ち合わせていないらしい。  璃音が痴女っていう噂はあながち間違いじゃなかったかもしれない。 「ほら、カエデさんとツバキさんが待ってるよ? それとも、二人に脱がしてもらう?」  璃音の言葉に二人へ視線を向けると「いつでも脱がせますよ」という凛々しい面立ちを私に向けてくる。 「いや、自分で脱ぐからいい」 「じゃあ、早く裸になっちゃって」  急かしてくる璃音にちょっとイラつく。  ニヤニヤ笑ってる様子からして動揺してる私を見て楽しんでるみたいだ。  今ここで殴ってしまいたい衝動に駆られるけれど、カエデさんとツバキさんが見ているからやめておく。  いまいち状況は理解できていないけれど、制服に手を掛けて璃音と同じように衣類を脱ぐことにした。  私は痴女じゃないからね? 「お、やっぱ光瑠ちゃんってスタイルいいね。お肌もスベスベで毛の処理もしっかりしてるみたいだし、ジムとか通って鍛えてたりするの?」  下着姿まで制服を脱ぎ終えたとき、酔っ払いのオヤジみたいに振る舞う丸裸の璃音がじろじろと私の身体を視線で舐めまわしてきた。その目は明らかに品定めをしているようにしか見えない。 「ちょ、変な目で見んなっ!」  胸をターゲティングしてる蒼い瞳から咄嗟に胸を隠す。他人に見せるために頑張ってきたわけじゃない。 「いいスタイルしてるんだから、別に隠さなくてもいいのに〜」  口をすぼめながら璃音はぷるぷる揺れる自分のおっぱいは隠さずに、腕で隠してる私のおっぱいを覗きこもうとしてくる。ホント、タチが悪い。  痴女というよりも変態オヤジかもしれない。無理矢理にでも話題を変えないとずっと身体について色々と聞かれそうだ。 「うるさい……っ! てか、あんたもスタイルいいじゃん?」 「え、光瑠ちゃん褒めてくれた? 超嬉しいんだけど」 「別に褒めてない、客観的な事実を言っただけ」 「えへへー、照れ屋さんなんだからぁ〜」 「だから、うっさい……っての!」  マジで褒めたつもりはないけれど、胸は璃音のほうが私よりも大きいのは確かだ。  同年代で自分のFカップよりも大きいサイズを見たことがないからわかる。  おまけに手足の締まり具合と身体の曲線や腰のくびれからして璃音は相当絞ってる。毎日運動をしたり、栄養制限を設けたり、様々なところで気を遣っていないとここまでの体型は作れないはずだ。  背の高さも私と大差ない。こうしてみてみると私と璃音はほぼ同じ体型をしているのかもしれない。  意外にも努力家なのだな、と璃音の評価は改めながら脱いだ下着をロッカーの中に入れる。ポニテに結んでる髪留めをどうするか迷ったけど直すのも面倒だし、外さずにそのままにしておいた。 「では、閉じますね」 「あ、はい」  横にいたツバキさんが鋼鉄製の扉を閉めるとピピッと音が鳴りガチャンッ、と鍵のかかる音がした。数秒の沈黙を得て、目の前で起きたことに疑問が浮かび上がって、気づく。 「ちょっと待って」 「どうしたの?」  セミロングの金髪を揺らして首を傾げる璃音の問いかけなど気にもとめず、ロッカーを開けようとしたのだが。 「開かないんだけど?」  把手はロックされており、いくら扉を開けようとしても開いてくれない。鍵を持たずに家の外へ閉め出された気分だ。 「サービスが終わるまではロックされるんだよ」  それをあたりまえって感じで言われる。 「早く言ってよ!」 「言ってなかったけ」 「言ってない!」  胸を隠す腕の力が強くなる。  こんな訳の分からない空間で裸になるだけでも恥ずかしいのに荷物が自由に取り出せないなんて酷すぎる。  鍵を閉められるとわかっていたら、せめて下着だけは身に着けていた。 「光瑠お嬢さま、こちらにお召し物をご用意いたしましたのでどうぞいらしてください」  そんな私の気持ちを察してくれたカエデさんが、用意されている着替えのもとへ来るように手招きしてきた。  璃音よりカエデさんのほうが頼りになる。  全裸から解放されたい私は、奥にいるカエデさんのもとへ駆け足で移動して、 「こちらが光瑠お嬢さまが着用するラバースーツです」  目の前に広げられたキャットスーツみたいな黒いゴムスーツを見て足を止めた。 「な、なんですかそれ?」 「ラバースーツです」  顔色一つ変えずにカエデさんは復唱するけど、ぜんぜん説明になっていなかった。  ラバースーツってなに? 「きゃ、キャットスーツ……なんですか?」 「そうですね。キャットスーツをラバーで作った、というところでしょうか」  カエデさん曰く、全身にドレッシングエイドという潤滑液を塗ってから着用するラバー製のキャットスーツらしい。  ラバーの生地を肌に密着させるために私の身体よりも少し小さめのサイズを用意してあるとかなんとか説明されたが、右から左に話が抜けていく。カエデさんの後ろにある作業台のようなテーブルには他にも名前のわからない道具がたくさん並べられていた。 「光瑠ちゃんって、ラバースーツ初めてだった?」  あとからやってきた璃音は、まるで私が経験済みだと思っていたかのような口振りで話しかけてくる。 「こんなスーツ知らないに決まってるでしょ」  レザーのキャットスーツなら、パパ活してたおじさんからプレゼントされたことがあり、恥ずかしい見た目をしてたけど好奇心から自室で試着してみたことがある。  でも、あれはフロントにジッパーがあって前開きになるタイプだったし、手や足先にまで生地はなかった。  このラーバースーツをよく見てみると、クロッチの部分にしかジッパーがないし、手も足も完全に包み込んでしまう仕様になっている。おまけに私の知っているキャットスーツよりも小さくて薄っぺらくてテカテカしてた。まさに完全にゴムって感じだ。  これだとラバーの生地が皮膚に密着して、着用してもストッキングのように裸同然のラインが維持されてしまうのではないだろうか。  表面がツルツルしてて滑らかだし、コレを身に着けるのは裸よりも恥ずかしいような気がする。 「着るの結構難しいから、カエデさんに手伝ってもらってね。アタシはツバキさんにやってもらうから」 「まさか、着なくちゃダメなの?」 「別に着なくてもいいけど、裸のままでいるつもり?」 「それもいやだけどさぁ……」 「だったらほら、ちゃんと着せてもらってよ」  璃音と話している間にも、カエデさんとツバキさんはそれぞれにドレッシングエイドという液体を手に取って用意していた。  二人の手を黒く染めているゴムがテカテカと光沢を放ち、天井の照明を反射して妖しく光る。 「……うわ」  どうして気づかなかったのだろう。  カエデさんとツバキさんの二人はゴムのメイド服の下にラバースーツを着用してる。  私たちの正装です、と言わんばかりの振舞いに、今の今まで気がつかなかった。 「光瑠お嬢さま、準備はよろしいですか?」  頬をひきつらせてる私に気を遣ってくれているのかどうかわからないけど、璃音の下半身にドレッシングエイドを塗布しているツバキさんとは違ってカエデさんは待機してくれている。  この空間にいる人間で目の前で起きている状況に抵抗を示しているのは、私だけしかいないらしい。  想像していた状況の何倍も意味不明だけれど、璃音に付き合うことを条件として取引をしてしまったし、ここまで来たのに引き下がるというのもなんだか癪だ。  それに、こんなにも意味不明な見た目をしてるラバースーツがどんな着心地なのかちょっと気になってしまった。 「……もう、カエデさんにお任せします」 「かしこまりました」  意思確認を終えたカエデさんは、私の足にドレッシングエイドという液体を丁寧に塗り込んでいく。  ラバーに包まれた細い指が足を這いまわって、液体が肌に馴染んでいくのがわかる。  他人に身体を触られるのっていつぶりだろう。 「上は光瑠お嬢さまご自身で塗布してください」 「わ、わかりました」  ドレッシングエイドを手のひらの上に出してもらい、腕や肩、胸周りなど、デリケートなところは自分で塗っていく。  ローションだとヌメヌメしてて滑りが良すぎるけど、これはさらさらしてる。  ローションとは成分が違うらしい。  結構な量を全身に塗り込んだところでカエデさんからラバースーツを渡された。  そのまま説明されるままに首の部分から、足先にあたる部位までを手繰り寄せていく。 「まずは片足を入れてから、爪先が底に当たるまで引き上げてください」 「は、はい」  カエデさんに説明されるままに爪先からストッキングを履くように黒い膜の中へ右足を突っ込んでみる。  ギチチッ、とラバーが肌に擦れて変な音が足先から太ももへ伝わってくるし、空気が邪魔をして上手く入っていかない感じがしたけれど、ラバースーツを手繰り寄せつつなんとか奥まで足を到達させた。 「お上手ですよ」 「あはは……」  カエデさんに褒められたけど、苦笑いする。たしかにラバースーツにはちょっと興味はあるが、この行為を全面的に受け入れたわけじゃない。あくまでもお試し中って感じだ。 「んっ……と」  残っていた左足もいれて、さらに上に引き上げていく。今にも破けてしまいそうな薄い材質だから、壊れてしまうんじゃないかと少し不安になる。けど、「思い切りが大事ですよ」とカエデさんに唆され、その通りに引っ張り上げる。 「うぁ……っ!」  まだ両足だけなのに、ピチピチに肌に密着するラバーの感触がヤバい。ストッキングの締め付けとは訳が違う。肉の形を極限にまで絞ってしまうような圧迫感が常に足を掴んで放してくれない。  このままラバーの膜に全身を入れてしまったら、私、どうなっちゃうんだろう。まさか脱げなくなるとかないよね? 「失礼しますね」  ラバーの膜を股下まで上げたところで手を止めた私を見兼ねたのか、カエデさんが足先から太もものほうへラバースーツを馴染ませるように何度も撫でてくる。  何をしているのかカエデさんに聞くと、中に残った空気を外に出しているらしい。 「んっ……ッ」  事務的な行為のはずなのに、その手触りがどこか艶かしく感じてしまう。  たぶん、ラバーの生地が私の足と一体化していく異様な感覚のせいだ。  時間を掛けて着るよりもさっさと着てしまったほうが気持ち的に楽なのかもしれない。 「これ、上も着ちゃっていいんですよね?」 「よろしいですよ」  変な気を起こす前に、股下で止まってるラバーの生地を着てしまうことにする。  ネックの部分を破けてしまいそうなほど大きく広げて、ドレッシングエイドが馴染んだ両手で生地を掬いあげるように胸のところまで一気に持ち上げた。 「んッ……!」  おっぱいの上をするりと抜けて、ラバーが肩を締めつける。  そのまま勢いを殺さずに両手を袖の中へ通し、グイっと両手を伸ばしたら首もとでラバーがキュッと縮こまり、首のサイズにぴったり合わさってしまう。  こんなにも小さい首元からラバーの膜の中に全身を押しこんだって考えるだけで背筋がゾワゾワしてきた。 「では、空気を外に出していきますね」  指先を袖の先端まで差し込むと、カエデさんは再び撫で上げるように何度も何度もラバーの膜を肌に馴染ませてきた。  右手が終わったら左手。  左手が終わったら、肩や胸。  そして再び足のつま先から上半身のほうへ向かってラバーの表面を撫でまわし、内側に残った隙間を消し去っていく。  ギチ、ギチチ、と空気一つ残さずに、黒いゴムの膜が私の肌に密着してきて、ぷっくりと膨らんだ胸の形から、腰の括れまで、ありとあらゆる身体のラインがラバースーツの締め付けによって強調されていくのがわかる。 「んッ、っ……!」    ふと視界入り込んだ壁の鏡に映る私は、ピッチピチの光沢を放つ黒いゴム人間になり果ててしまっていた。  全身を黒一色のラバーに包んで身体のラインをこれ見よがしに浮き彫りにしてる自分の身体は、どこからどう見ても痴女にしか見えない。  でも、カエデさんはそんな雰囲気を一切作らずに相変わらず事務的な動作で私の身体にラバースーツを馴染ませてくる。  何度も、何度も、繰り返し、容赦なくまさぐって、なんとも言えないくすぐったさをひたすらに与えてくるのは反則にもほどがある。 「……ん、これ、やばッ」  おかげで変な声が出そうになって、咄嗟に喉元で堪えた。 「なになに? 光瑠ちゃん、もう感じちゃってるの?」 「は、はぁ!? か、感じるって……っ、ど、どういう意味よ?」  そのくすぐったさを我慢してるところに、ラバースーツを纏った璃音が野次を飛ばしてくるから最悪だった。  カエデさんに変態だと思われちゃうじゃん。 「強がっちゃってぇ、ホントは気持ちいいんでしょー?」 「んなわけないでしょっ!」  私と同じように首から下まで黒一色に染まってる璃音に反抗するけど、自分の言葉が図星にしか聞こえなくて、言ってるそばから顔が熱くなってきた。  ラバースーツに包まれるだけで、自分が得体の知れない快感を味わいつつあるとは信じたくない。  もしもそれを認めてしまったら、私はラバースーツを着るだけで性的な快楽を感じる変態ってことになってしまう。  喫茶店で璃音に『すっごく、気持ちいいと思う』と告げられてはいるけれど、この気持ちは絶対に受け容れたりしない。 「てか、このスーツってあんたの趣味? こんなの着てどうするの?」 「アタシの趣味じゃなくて、ここに宿泊するのに必要なだけだよ……? まぁ、説明するより経験したほうが早いから、ツバキさん次のヤツお願いします」 「かしこまりました。では、テーピングしていきますね」  璃音のそばにいるツバキさんの手には、ラバースーツと同じように光沢を放つ黒いフィルムが握られていた。  ツバキさんは顔色ひとつ変えず、肘を曲げている璃音の腕にそのフィルムをくるくると巻いていく。  肘を曲げたままフィルムに巻かれてしまったら、腕を伸ばせなくなるのに璃音は一切抵抗せず、一巻き一巻き丁寧に隙間を作らないように腕を梱包されていくのをただ眺めてる。   「な、なんで、腕を拘束してるわけ?」 「プレイに必要だからだよ。ほら、光瑠ちゃんもカエデさんにやってもらって」 「光瑠お嬢さま、よろしいですか?」 「……まじ?」 「はい、マジです」  カエデさんの手にはツバキさんが持っているフィルムと同じものが用意されていた。いつでも準備はできていますよ、って感じでカエデさんは私が腕を折り曲げるのを待っている。  璃音が進んで受け入れているからには、私も従うしかない感じだ。 「……ぅぅ」  口を噤みながら、折り曲げた右腕をカエデさんに差し出すと璃音がツバキさんにされているのと同じように私の腕もフィルムでテーピングされていく。  肘を曲げたまま腕を固定されるなんて初めてだ。  一体こんなことをして何の意味があるというのだろう。  急に不安になってきた。 後編 https://style-freya.fanbox.cc/posts/3118629

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