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お世話になっております。

先ず最初に、先日は大変お見苦しい姿を見せてしまい申し訳ありませんでした。

この記事を見てくれている方に私がTwitterで呟いた内容に不快感を覚えた方がおりましたら、深く改めてお詫び致します…。

自分の普段の考え、立場を忘れて過敏になってしまい、大変恥ずかしく思っております。

本当にすみませんでした。


今回は先日にとうとう最終回を迎え、約三年間の連載に幕を閉じた「ひぐらしのなく頃に 業(巡)」のネタバレ感想記事です。

この記事は「Twitterで私をフォローしてくれている、私の考えに近いフォロワーさんが見てくれているであろう」という私の勝手な前提で書いているので、おそらく皆まで説明せずとも私がここに今回どんな内容の感想を綴るのか大方の予想はできるのではないかと思います。

なので今から語る内容は全て私の「超主観的」で「沙都子贔屓」が多分に混じった感想になります。

その為、「私はあの結末に納得している!一抹の不満もないよ!」という方、令和以降の新作ひぐらしが大好きという方、「公式の出した答えこそ全て!それを疑うなど不敬千万!!」という敬虔な想いで作者を推している方はブラウザバックを強く推奨致します…。


よろしいでしょうか…?

先ず第一に私はあの結末をどんな耳心地の良い言葉と理屈を並べて嚙み砕いても、到底受け入れる事はできませんでした。

沙都子には笑顔でいて欲しかった、それだけが私の答えです。

予め述べておきますが沙都子が罪を償なければならない理由や理屈、考察については理解しているが私自身が一沙都子ファンとして到底納得できないのだという事を承知して頂ければ幸いです。

受け入れない=他の考えを否定してる、ではない事を理解頂ければと思います。否定もしないけど肯定もしないということです。

沙都子はひぐらしきっての幸薄な生涯を負ったキャラで終わってしまったこと

沙都子は旧作時点で既に「気持ちを入れ替え、自分に寄り添おうとした両親(養父)を突き落とす」「自分が追い詰めてしまった、心の拠り所であった兄の失踪」という、年端もいかない少女が背負うにはあまりに重すぎる罪を抱えていました。

また、梨花が繰り返す前の本来の歴史では鷹野に解剖されていた可能性すらあったのを考えるとあまりに報われない生涯であったのは想像に難くありません。

それでも沙都子は自身の過ちを悔いて、その身に重すぎる過去を背負いながら知恵先生から「まるで天使みたい(厄醒し編引用)」、入江からは「ずっと笑っていて欲しい(祟殺し編引用)」と称される程、お転婆な年頃ながらも健気に真っ直ぐ生きていました。

いつか「兄に帰ってきてほしい」という、痛まし過ぎる境遇にいた少女が抱くにしては大変素朴で純粋な願いを、その小さな胸に抱きながら…。

羽入が「忘れたままでいい」と言っていた「両親(養父)を突き落としてしまった罪」もいずれどこかのタイミングでフラッシュバックしない可能性がないとは言い切れません。

そこで雛見沢症候群を再び悪化させ、取り返しのつかない事態にならないとも言い切れません(鉄平の問題と併せて)。

今さらエウアに洗脳されたが為に犯してしまった罪を背負う事がなくとも、旧作時点で沙都子の未来は常に順風満帆だけではなく不穏な影が差していたんです。

それ以上に罪を背負う必要が、沙都子の一体どこにあったんですか…?

忌み子だから…?呪われているから…??

違いますよね?

兄の帰りを願ったから?優しくされたいって願ったから??また頭を撫でて欲しいって願ったから???

沙都子は、生きていれば誰が持っても当たり前な、ごく普通でありふれた、素朴で儚い、けれど確かに大きくて暖かい大切な願いを抱いていただけです。

それをどうして罪だと詰ることができる?どうして虫けらのように踏みにじることができる??

※これが個人の二次創作作品であれば話は違います

寧ろこれまでの沙都子の境遇を見ればこそ、沙都子の胸に抱くソレは決して幸せの代償などという理不尽な理由で水を差す程の大望ではなかった筈です!

例えば「業卒では沙都子に禊がなかったから巡ではその点をカバーされた」という話なら、そもそも業卒と巡では前提がいくつも違うと個人的に思っています。

業卒では強引に力を与えられたとはいえ、最終的に梨花との痴話げんかの流れのまま「最後に辿り着いた雛見沢だけが真実、その過程で起きた事は夢幻と同じ」と自分の欲望の為にその過程で発生するであろう他者の痛みなど厭わない旨の発言をし、まるでゲームでもするかのようにカケラ世界で生きる人間の命を盤上の駒のごとく軽く扱っていました。それも洗脳されたからではなく己の意思で、です。

だからこそ明確な禊もなく、他者を巻き込むだけ巻き込んで勝手に自身たちの中だけで納得したまま終わった業卒のラストはひどく批判されたのです。

仮にその業卒のラストが今回の巡のような「業に向き合って終わる」ラストだったならば私は受け入れていたと思います。

それが上述した「過程にある痛みを厭わずに結果のみを求めた」沙都子が手に入れた幸せの代償だからという理屈ならば筋も通りますし納得できるからです。

けれど先も述べたように巡はどうでしょう?

ひどく精神が擦り減っているところを拉致し、状況を理解できない沙都子に梨花の百年分のカケラの記憶を流し込んで混乱しているところにアダムとイブをかどわかした蛇のような甘言で「夢が叶う」と力を差し出すエウア。

逃げる事も出来ない状況に追い込み、自分の手を取る以外に選択肢などないと思い込ませて沙都子に絶対叶う筈のない希望を見せて未来を奪い、まんまと自分の望む駒に仕立て上げたエウアの悪辣ぶりは正に悪魔の脚本と言っても過言ではありません。

この状況、沙都子に一片でも責められる非がありますか?

寧ろ咎を負うべきは沙都子ではなく「沙都子をそうさせた」エウアですよね??

自分から進んで他者の痛みを厭わずに好き勝手に暴れていた業卒の沙都子と、願いに付け込まれた末に洗脳され騙されたまま間違いを犯してしまった巡の沙都子を全く同じ天秤にかけるのは少々酷だと個人的に思います。

それこそ詩音は数多のカケラでたくさんの間違いを犯しながら最終的に救われたのに何故沙都子だけは許されなかったのか本当に納得できません。

令和に入って沙都子がメインの物語がアニメ、漫画で紡がれてファンとしては再びこうして一人のキャラクターと物語に時間も忘れて没入できる機会を貰えたのは大変喜ばしく思います。

しかし、公式に鑑賞できる物語としてはおそらく最後(そもそも綺麗に終わっていた作品の続編をわざわざ作ってまで)になるであろう大切な作品で旧作時点でも決して明るい未来ばかりではなかった沙都子からアイデンティティであった笑顔を奪った事を私は決して受け入れませんし、又このような形で終わってしまった事をひどく残念に思います。

私はただ、沙都子の笑顔が欲しかった…。

「これから罪に向き合って、いつかまた心から笑える日が来る」なんて慰めと気休めの終わりなんかではなく…。

いつか帰ってくる兄の胸の中で、涙に目を腫らしながら真っ当な幸せの中で心の底から無邪気に笑う、彼女の笑顔が欲しかった…。

それだけです。

大変稚拙な長文ながらここまで読んで頂き、ありがとうございました。



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