Home Artists Posts Import Register

Content

 まず最初に、これはあくまで自分自身の考え方の一つです 

 いや、最初はね、嫉妬について書こうと思ったんですよ。それについてちょっとだけ書きますね。

 まず、嫉妬自体は相手に意識を向けられているから悪いことではない、嫉妬してる自分を嫌わないで欲しい、嫉妬は全人類共通のことなのでそれすらも嫌悪感を抱いたら心が壊れると、そんなことを書いてたんですよ。

 嫉妬って言葉を調べると、相手がいて、お互いが認識しあって初めて成り立つと書いてあって、それまではよかったんですよ。ただ、自分が言いたかったことが、「フォロワー数とかいいねリツイートの数って、そもそも相手がいないじゃん、数値に対して嫉妬するんではなく、絵に嫉妬しよう」とかそんなことを書こうと思ってたんです

 ここで矛盾が出るんですよ、「そもそもそれは嫉妬ですらないんじゃないの」と。んでここでもう一つ言葉が出てくるんですが、それが「羨望」って言葉なんですね

 ここからはもう哲学と心理学の世界に入っちゃうんですが、フォロワー数とかいいね数とかそもそも絵に対していろいろ思うってことがもう嫉妬ではなく羨望になっちゃうんじゃねと。

 羨望の意味の一つは他者が自分が持たない望ましい物品【ここではフォロワー数と仮定】を持つときに、自己肯定感の低下という感情的な苦痛として現れる、と

もうこれ完全に嫉妬じゃなくて羨望じゃん。つまり自分らが嫉妬だと思ってたことが嫉妬ですらなくてそもそも意味が通じないんです。知らなかったほうがよかったのかもしれない

 どんどん調べてくうちに、キリスト教ではカインの兄弟殺しの動機とか、もっとも原始的で悪性の攻撃衝動とか、不幸の最も強力な原因とか

 

 日本語だと嫉妬自体に二つの意味があって、それが心理学だと嫉妬と羨望に分かれているんですけど、「SNSなんて羨望の応酬なんだし、そりゃ病むわ」ってなりますよね、しかも嫉妬が日本だと意味が混同しちゃうからまた問題が

 ただの原始的な衝動なんですよこれは、なのに嫉妬って言葉で聞いちゃうと単純に自分が悪い、劣っていると考えちゃうから余計に悪循環に陥るんですよね、容易に想像できる

 いや、具体的に言いましょう。ここではあくまで絵描きとして書きますね。羨望は原始的な衝動、それは自分もしくは相手を傷つけることで発散させるのが多い。つまり、前者だと自分にはもう無理だ絵を描くのをやめよう、才能がないとなり、後者だとその対象の絵師さんを攻撃し始める。ね?

 個人的にすっきりしました、前々からどうも嫉妬に対して違和感を持ってたんですよ、それは嫉妬じゃなくて羨望ってので全部つながりました

 

 自分はもう3年半くらいお絵描きしてます。ぶっちゃけもう評価の数とかに対しての悪い自己嫌悪とかもないです。それについては前に書いてますよね。でも、やっぱりめっちゃ伸びてる絵を見ると心臓がググってなるんですよ。それ自体はすぐ収まります。でもなんでそうなるのかがやっぱ分からなかったんです。

 成程ただの人間の原始的な衝動だったんですね。だからすぐ収まるしすぐ忘れるしまたググってなる。

うん、自分が出した結論はですね。

【SNSで嫉妬はそもそもができない、それは嫉妬ではなく羨望という人間の原始的な衝動】

閉廷

Comments

No comments found for this post.