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  まずこの記事を読んだ人は「絵は個性が大事」って言葉をどうにかして記憶の彼方に飛ばせ、というより「個性」って言葉なんか忘れてしまえ。


 なぜ嫌いなのか、大体絵において個性という単語の後ろに「だから勉強は大事ではない」とか「好きなように描くべき」がつくから。もうぜっっっっっったいついてくる。


 それは確かに好きなように描くのは大事だ、好きなように描くのが個性を伸ばすのに一番最適、確かにそれっぽく聞こえる。それっぽく聞こえるから否定が難しい、でもようやくそれを否定できる文を考えることができました。


 最近の若者は結論ありきでしか文を読まないからね、先に結論を書いておこう。

「個性を伸ばす唯一の方法は『研究』のみ、勉強は研究の唯一の手段」

これに行き着いた訳ですが、ここから一つずつ解説をしていきましょう。


 ちなみにこの記事は「絵」を描く人向けにまとめてるので読んでてつらくなる場合もある。








 まず最初に個性、絵の個性ってなんだ。それはですね、「顔のアタリの十字を描くとき、どこに目を置くか」。これですね。

 

顔を描くときに丸描いて十字、このとき

 どこに目を置くか、十字の横線の上?真ん中?下?。これだけでだいぶ分かれます。これに失敗や間違いはありません、ちなみに自分は横線の下。これを調べるには自分で試して研究するしかないんですよ、研究して出した答えが「個性」として絵に表れるわけです。


 自分の描く目の形や大きさ、鼻の描き方、口、輪郭。それを全部加味して一番最適なアタリの取り方を調べる。「十字を引いて顔のアタリをとる」、ほぼ全員が顔を描くときに同じことをしてますがおそらく誰一人として同じ顔にはならないし同じ下書きにはならないです。個性なんてこれの積み重ねです、自分の絵を研究しないと分からないんですよ。だからこそ研究の唯一の手段である勉強をしないといけないんですね。





次は、「勉強は研究の唯一の手段」ですね


 勉強は目的ではなく手段、算数で言ったら公式ですか。公式を使って答えを出すのが目的で、公式を覚えるのがゴールではないのと同じです。


 絵の勉強としてデッサンをしたり解剖学を勉強したり、これらを行う意味はひとえに自分の絵を研究するためだと言えます。割と聞く「絵の勉強をしたら絵が描けなくなる、個性が死ぬ」とか。こんなもん全部聞き流してよし。個性という言葉の幻想に囚われてるだけ。


 これを言えば分かりやすいか、「それを言ってる人達の絵は全部同じに見える」これに尽きる。最近気づきました、個性を盾にして何もしてない人ほど全部同じじゃないかと。悩んでる人には心を抉られるかもしれないがほぼ事実。なぜなら勉強してないから、だからみんながみんな似た同じ結果になる、おそらく絵はそれが顕著に出やすいジャンルの一つだと思います。画像として出力されるし。


 よく引き合いに出される「幼稚園児の描いた絵はみんな個性があっていい、勉強するとこういう個性がなくなる」。いやいやいやそんなことないだろう。皆さん調べてみてください、うん、これは読みながら一緒に調べましょう。まず幼稚園で公開されてる絵を検索して、そのあとソシャゲのイラストを検索しましょうか。どうでしょう、ソシャゲのイラストの方も個性あると思いませんか。


 いいですか、変な激やばコメントに絡まれたくないので先に言っておきますけど。幼稚園生の描いた絵が「下」とか「悪い」とか「個性がない」とか、そんな攻撃的なことを言いたいわけでは断じてないですからね。


 今言いたいのは「勉強するとこういう個性がなくなる」は嘘すぎるだろってことです。あんじゃん個性、無くなってないじゃん、出てくるイラスト全部趣違うじゃん。


 言葉を選んで文を書きますが小さい子が描く絵はほとんど平面的です、これにはちゃんと理由があります。何故ならまだ奥行きを理解しきれていないから、これは脳の成長に関係があります、てことを説明しだすとめちゃくちゃ長くなるので割愛しますが脳が奥行きを確認しそれを出力できるようになるのは10歳くらいなんです。


 つまり、脳の成長途中に表現方法として平面で描くしか出来ない状態で描く絵が個性のある絵として言われて、様々な表現方法を理解した勉強した状態で描く絵を無個性と言うのは嘘が過ぎるだろってこと。そしてそれを言ってる方たちはもう成長しきってるだろってこと。


 はっきりとは言いませんよ、でも、上に書いた「それを言ってる人達の絵は全部同じに見える」と「幼稚園生の描く絵の解説」を自分の頭の中で組み合わせて何が言いたいのか考えてください。


 そしてもっかい言う、自身の研究ができる唯一の手段の勉強してないから、だからこそ逆にみんながみんな似た同じ結果になる。




 最後、「個性を伸ばす唯一の方法は『研究』のみ、勉強は研究の唯一の手段」のまとめ。


 研究をするには知識が絶対に必要になります、顔の十字線だってそうです。皆さん普通に使ってて考えたことないでしょうがアレだって絵の勉強の産物ですよ。無から研究なんて絶対できないんです、つまり個性の伸びようもない訳ですね。


 勉強したことを使って自分の絵の研究をして出たものが個性となる。逆に勉強したものをそのまま出しても「絵を描いた」とは言えないかもしれません。


 そうですね、創作系のポートフォリオを作る際に大事なのは個性と言われてますが大半の人はチュートリアルをそのまま乗っけます。これはほんとですよ、専門学校出てますからその学科のポートフォリオとか見てます。チュートリアルをそのまま出してる人はまぁ落ちてますね、そりゃそうだ個性も何も出てないただ勉強したものをそのまま出してるだけなので。勉強が手段ではなくゴールになってる人はそこで終わってしまうんです。まぁこれは今回のこととはあまり関係ないか。


 閑話休題つまり一言で言うなら「個性を出してぇなら勉強しろ!」勉強して自身の研究材料を増やせ!前に宣伝した本買え!研究の手段を増やせ!


 これは何回も言ってる、絵の勉強した方が辛くないぞって。ただ個性個性で勉強せず苦しむよりも勉強して調べた方がよっぽど楽しいぞって。


 いいですか、勉強したものを全部使う必要はないんです。ただ、「知らずに何となく」と「知ってるがこっちのが見栄えがいいから」は天地ほど違うってことが大事。


 いいか勉強で終わらせるんじゃない、それを自分の絵に当てはめていけ。塗りでもなんでも、自分の絵にはこういう髪の塗り方のが合ってるかもを繰り返すんだ。それをするには勉強をするしかない、研究の手段を増やしていけ。勉強と研究の両立をしろ。


 まぁ勉強と研究、これだとめちゃくちゃぎっちぎちに難しいイメージが出ますが何てことないです。最初に例として出した十字線のどこに目を置くかをやるのが一番簡単かもしれません、やったことない人は是非やってみてください。自分の描く絵はどんな顔をどのように描いてるのか調べると結構面白いと思います。


 もう一回言いますよ、勉強しないと手段に乏しくなり全部個性消えます。あぁ、いないと思いますがもし人の親で無駄な勉強したくないって言う学生がいる場合は、やりたいことがあるのなら勉強しないと何も手段がなくなって無個性になるぞと言ってみて。んでその反応教えてほしい。


 インプットとアウトプットとはよく言いますが今回言っているのはその中の過程のことですね。インプットしないとアウトプットできない、アウトプットをするときはインプットしたものをそのまま出すのは好ましくない。こんな感じですか。


 



 てことで超長くなりましたが今回は絵の個性についての記事でした。いっちばん言いたいのは勉強してない方が個性がなくなるって部分、これは正直俺の中で世紀の大発見。まぁこれを人に言うと嫌われるので大半の皆さんは心のうちにとどめといた方がいいんですけど。


 「絵は個性が大事」はもはや呪いだと思います。個性と勉強が=で結びつきにくいのも問題、確かに一時期は勉強すると平均的で個性がなくなるって考えもしてましたが今は逆ですねぇ。てか勉強するから個性が出るもんだなと今は考えてます。あぁ例の学校行かない宣言のあの子はどうなるんだろう、まぁその辺はいいとして。


 やっぱ勉強と個性は強く結びついてると思うしそれはイラストでも同じだと思うのでどんどん変化してきましょうや。


 本来これはもっと絵がうまくてもっと影響力ある人がもっとうまく言語化して伝えるべきだと思うので、許可とかいらないから誰か絵がうまい影響力のある人が代わりに発信しろ。んで救え。


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