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 なんか新聞のコラム的なとこに評価されるためなんちゃら~ってのがありましたね

なので自分が考える承認欲求についてまとめときます

 ちょくちょくこういうの書いてますが、前のとは別の視点から

まず、承認欲求を悪くとらえすぎない、何故なら人として当たり前で特別なことでもないからです。

承認欲求について深く追い詰められてる人は一回視野を広くするといいかもしれないです

 こういった絵やら歌やら楽器やら創作系の活動をしてる人は、続けていくと自分にはこれしかないという気持ちになります。良いことではあるんですけど、これだと「自分が人から承認されるのはこれしかない」という思考になってしまう可能性が出てきます。

 でもそれは全くの勘違いでそんなことはまったくないんです。承認欲求はそんな特別なことをしないと満たされない欲求ではないと考えてます。

 

 じゃあ他に何をすれば満たされるのか、1番簡単で効果が出るのは人と話すことです

自分から話題を振り相手がそれに対して反応する。それだけでも全然違います。

人とこの話題を話したいという欲求を満たすだけでいいんです。

 承認欲求の中身は自分以外の人から反応を貰いたい、そう考えるならこれ以上ない方法ですね。別に対面で話さずとも通話でも電話でもいいですし、チャットでも同じです。

創作をしていると何故か作品でしか承認してもらえないとしか考えられなくなる時期があるんですよね。

 少し暗いというか世知辛い話をすると、承認を得る=作品を作る、だと絶対に作品を作らなくなります。何故なら時間をかけて作品を作るよりも、誰かと話題を共有したほうが簡単に承認欲求を満たせるからです。心当たりある人はあると思います。

 

 こんな感じで承認欲求は日常的に生まれ消化される何ら特別な欲求ではないという話でした。なんで視野が狭まってしまうのかを考察するのなら、作品出し得た反応は日常的な会話よりも刺激的で新鮮に感じてしまい、それ以外を感じれないくらいに麻痺してしまうからでしょうか。

 自分はこんな感じでなるべく承認欲求と作品作りは分けて考えてます。承認欲求は別に作品だけで満たすものではないということを、自分なりに理解してれば飲まれ過ぎない

という感じです。

 承認欲求ってのはそういうことじゃない!って思う人もいるかもしれないですが、欲求なんて人それぞれで哲学的なことなんで。自分にしか分からないことを自分で答えを考えて作るってのはまぁ哲学的に考えるなら合ってるのではないかなと。

 

 話せる人が全くいないって人は、あれですね。「ほんとに死ぬほど深くどうしようもないくらい追い詰められてる」のであれば愚痴とか悩みとかメッセージに送ってもいいし、なんかやりたいゲーム言ってくれればやるから。

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